カワリモノ息子の技術メモ的な~

カワリモノ息子とその母の技術メモ的な〜

学校が苦手な息子くんの作品とその母の作品、はたまた日常などいろいろを在宅エンジニア母が綴る

昔をふり返り息子くんがどれだけ変わっていたかを考える その1 ~出産編~

カワリモノ息子について

 親の私が言うのもなんですが、本当にうちの息子くんは変人と思います。
 あまり人に関心がなく作りたいものを作っているのが生きがいのようです。評価も求めようとしません。

 そんな彼も2021年現在中学2年生で、成長につれ「人と違う」ことを身に染みて感じて悩み始めた模様。
 もしかするとこれからは少しずつ「一般的な人」に近づいていくのかもしれません。

 そんなカワリモノ息子がどれだけ変わっているか記録して残しておこうと思いました。

 今回は「出産編」、産まれるまでの話です。「そんな昔のことから書くんかい!」って思いました?w

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 ↑ 産まれる1か月ちょい前の息子くん

つわり

 悪阻、きつかったですね。
 思い返せば妊娠初期から出産までずっと気持ち悪かったです。
 とはいえ初期以外はそれでもなんとか食べられてはいたのでまだ良い方だったかもしれません。でもおいしさをあまり感じませんでした。

 一説によるとつわりがきついほうが子供の頭が良いとか?なんとか?
 いやうちの子は頭いいんだか悪いんだかなんですけど。

 出産したあと最初に食べたお米のおいしさが忘れられません。
 「ああ世界はこんなにおいしいものにあふれていたのか!」と涙しました。

 そうそう悪阻の調子がだいぶ良いときには納豆を食べました。
 近所の産婦人科の先生が「妊娠中に納豆を食べなさい。そうすると納豆が好きな子供になります。」と言ったからです。その通り納豆好きが産まれました。

妊娠中の入院

 妊娠22週ごろ、いわゆる「切迫流産」と「切迫早産」の境目ころの時期にズキーンと痛んで動けなくなることが多くなり、私は入院することになりました。

 里帰り出産の小さな病院で、「トイレ以外動かないように」と言われ、ベッドでじっとしてるだけで3食運ばれてくる夢のような生活でした。

 里帰りとはいえ自宅と同じ県内なので車で1時間ほどの距離だったので、夫も度々お見舞いに来てくれましたし、実家の母も毎日のように来てくれました。

 やることが無かったので一日中以下のどれかをやっていました。
 ・Nintendo DSをする
 ・数独(ナンプレ)をする
 ・テレビを見る

 おかげで数独がだいぶ早く解けるようになりました。
 DSはほぼずっとパズルゲームをしてました。

 そんなことも当時おなかの中にいた息子くんの人格形成に大きく関わってたんじゃないかと今になって思います。

 3週間くらい入院して退院したような気がします。

予定日

 この退院以降は無事に過ごすことができました。そして予定日が近づいてきます。しかしいっこうに陣痛も起きないし産まれてくる兆候がありませんでした。
 「切迫入院したときは早く出てきそうになってたくせに!?」って思いましたが、これこそが息子くんの気分屋なところです。
 
 病院側も「これは帝王切開になるかも」と思ったらしく、私の血液型がRH-であったこともあり帝王切開で輸血が必要になることも考えて、総合病院へ緊急転院することになりました。

 それから子宮にバルーンを入れて陣痛を起こそうとしたりしましたがそれでも一向に陣痛はおきませんでした。
 予定日から2週間を過ぎて「過期産」の時期に入ってしまいました。
 お医者さんの「明日帝王切開をしましょう」という言葉を聞いたおなかの中の息子くん、「やべっ!」と思い(憶測)その日の夜に陣痛が起こりました。
 息子くんは本当ギリギリにならないと行動しないですもんねw

 それまでは標準的な赤ちゃんの体重の想定だったのですが、なにせ予定日から2週間と1日過ぎてしまい、おなかの中でどんどん育った息子くん。産まれるときにはだいぶ大きくなってました。

出産

 陣痛が始まり無事に分娩室へ。
 なんといっても「いきみ逃し」がつらかったです。ヒーヒーフーってやつですね。

 めっちゃ出そうなのに「力をいれるな」ってかなりきついですよ。
 浣腸のあとに便を我慢させられてるのの、もっと強烈な感じとイメージしてもらえればと思います(汚くてごめんなさい)

 分娩室でenyaが流れていたのも気になりましたが、そんなことよりも陣痛です。

 私「あと何分で産んでいい?」
 お医者さん「まだだめ、あと5分」
 みたいな会話を繰り返し、最終的には、
 私「ずっとあと5分やん!私、絶対にもう産めるけん!分娩台にのせろ!」
 とわめきたて、無理言って分娩台にのせてもらい満足感を得たのを覚えています。(いつもは礼儀正しい私が出産のパニックでもはやため口)
 
 分娩台にのせてもらったところで、子宮口の開きがまだだったみたいで案の定、産めないんですけどね。いきめて良くなっただけでなんともいえない安心感がありました。

 そこから産むこと30分くらい?
 子宮口が開いても大きくてなかなか出てこれないので、先生がお腹を押さえて押し出すのを手伝ってくれました。

 「ギエーーーーーーーー」と赤ちゃんとは思えないキチガイの声とともに巨大な息子くんが生まれました。3646グラムでした。

 分娩室の外では実母と義理の母が待っていてくれたのですが、まさか今生まれたばかりの赤ちゃんの声だと思わなかったそうです。

病院での赤ちゃんのお世話

 寝ている間は看護婦さんが預かってくれて定期的にお部屋に連れてこられたりこちらから行ったりして授乳するスタイルでした。

 総合病院だったので訳あり出産(高齢、多胎、etc)で生まれた子たちばかりです。
 寝ている新生児が並んでいる姿を見ると、小さく産まれたベビーたちがほとんどの中、デーンと一回りも二回りも大きい我が子の姿。おもしろ可愛かったな~と思いだします。

そういえば心拍が低下することがあった

 ここまで書いた今思い出したのですが、病院で陣痛が起こる前に何度も看護婦さんが度々数人やってきて慌ててたんですよね。赤ちゃんの心拍数が度々低下してたとのことでした。
 後で先生に聞いたところ、自分でへその緒を握って自分の首をしめたりしてしまうこともあるとか。意識が途切れそうになって握ってる手を緩めるから復活する、これを繰り返すことがあると。
 息子くん、おなかの中ではへその緒について研究していた模様です。

まとめ

 以上、産まれるまでの話でした。

 過期産って私以外の人で聞いたことがないので、かなりまれなケースなんだと思います。
 出産直前に転院したので遅れてしまっただけで、普通はそうなる前に帝王切開するのかも。

 おなかの中の時代からマイペースだった息子くんの話でした。